はたらく・暮らす・整える

手帳術と仕事術、習慣のアップデートと、あれやこれやのレビューとか。

いまだに「理系/文系」でクラス分けする教育現場、その垣根がすでに意味をなさないのがリアルな仕事の現場

先日、高校1年生の娘の進路調査用紙に、保護者のサインを求められました。

進路自体は娘本人が中学生の早い段階からしっかり考えているので、どんな方向性を目指していようと、とやかくは言いません。

ただ、その進路調査用紙で引っかかったのが、「理系/文系」の選択があること。

平成はまだしも、まさか令和の時代になって、いまだに「理系/文系」なんて概念があることに驚きました。

現役で働いている人は分かると思うのですが、仕事をするうえで「理系/文系」の違いは全く意味が無いのが現代です。

仮にスタートがそうだったとしても例えばエンジニアには国語的素養が強く求められますし、営業職や事務職、企画職でも数字をロジカルかつ統計的に扱うことが出来なければ、あっという間に頭打ちになってしまいます。

かくいう自分自身も、高校と大学は文系でしたが、現在はマーケッターとしてデータ分析などを行い、その一環としてそろそろプログラミングにも取り組む必要があるなと考えているところです。

単一のニーズに高い生産性だけで応えれば良かった昭和の時代までは、「理系/文系」で仕事を分ける、それぞれの人材を育成するために学校も「理系/文系」に分ける、それはそれで意味があったのでしょう。

しかし、複合的かつ細分化されたニーズに限られたリソースで応えることを求められているのが、現在の背景。

すでに多くの仕事の現場で、「理系/文系」の垣根が無くなりつつある(あるいはすでに無くなっている)のですから、その前段階の学校で「理系/文系」に分ける意味は無いでしょう。

意味があるとしたら、高校は社会を向かずに大学入試だけを向いている、ということくらい。

もしそれを分かっていながら制度だけが残っているのであれば、まさに本質や目的を無視した形骸化と言えるでしょう。

入試のための勉強が「学ぶこと」ではないという事実が浸透しつつあるのと同じように、「理系/文系」の選択が社会を向いた時に不要の分類であるということが、学校の教育制度にも浸透していくと良いなと思いました。