「選べる自由」と「選んだ自由」という2つのことについて、考えることがある。前者は選択肢が多数あるけどまだ選択自体はしていない、もしくはひとつ選んでも次の選択が常に控えている状態。後者は選ぶ決定をすでに下している状態。
— ノブヒサ@ 『はたらく・暮らす・整える』 (@nob_oba0125) 2017年9月9日
「自由」という言葉から「選べる自由」を連想する人の方が多いと思うが、多数の中から選ぶというのは非常にパワーを要することであり、実際にその状態に置かれると苦痛を伴うもの。
— ノブヒサ@ 『はたらく・暮らす・整える』 (@nob_oba0125) 2017年9月9日
対して、「選んだ自由」というのは選択の「基準」というか「原則」を常に自分のなかに持っていて、選択肢が多数あってもさほどパワーも選ぶ苦痛を伴うこともなく軽やかに生きられる状態にあることを指す。代表的なのが、ミニマリストと呼ばれる人たち。
— ノブヒサ@ 『はたらく・暮らす・整える』 (@nob_oba0125) 2017年9月9日
「自由な生き方が求められる時代」というが、「選べる自由」というのはすでに前時代的な考え方であって、「選んだ自由」という芯を持った人たちが先頭を行く時代なのかなと思っている。それはミニマリストに限るものではないが、すでにそれを具現化していることが世の注目を集める理由なのだろう。
— ノブヒサ@ 『はたらく・暮らす・整える』 (@nob_oba0125) 2017年9月9日
「自由な生き方」は大事だが、「選ぶ」ことに振り回されていると、肝心の自由から離れてしまう。
会社員の身分から離れてフリーランスとしての自由を手にしたはずなのに、全てを自分で選ぶことに疲れて元に戻ってしまう人がいるのはそのせいかと思われる。
対して、自由ではないイメージにある会社員や公務員であっても、時代の先頭に立ちながら活き生きと活躍し続ける人もいる。
選択肢の多さや他人の選んだ自由に目先を惑わされずに、「自分軸」で選ぶことを選んだ、その結果としての自分の自由を手にしよう。